進化の法則を知れば先が読める

文化文明も、それ以外の全て、生物無生物にかかわらず、つまり、有形無形にもかかわらず、進化するものだと、私は考えている。 そこで、今回、特に、無形の文化文明の進化を提示したいと思い、この本を描き上げた。

第九章:文化へ流れ込む知の源泉 (その三)

[脳の三層構造]
アメリカのポール・マクリーンは、”脳の三層構造説”を唱えた。人間の脳は、爬虫類脳→旧哺乳類脳→新哺乳類の順番で進化し、機能を複雑化させ高度化させてきた、という。
注)しかしながら、脳科学的には、彼の説は厳密なモデルとしての正確性はないようである。
[爬虫類脳]
“爬虫類脳”は、呼吸、心拍、体温維持、摂食、睡眠、覚醒など生命の維持(身体的知)に関わる、つまり自律神経系の中枢である脳幹や間脳(視床視床下部)を指し示す。自己保全(生命維持)という目的を全うする機能を有する脳部位である。
[旧哺乳類脳]
“旧哺乳類脳”は、感情、記憶、快・不快の価値判断など、生物として生きていくために必要な能力(感覚感情的知)に関わる、海馬、扁桃体を含む大脳辺縁系、のことである。つまり、今の内外情報を過去の記憶情報と照らし合わせて、感覚感情的に判断する脳部位である。
[新哺乳類脳]
哺乳類で初めて出現する“新哺乳類脳”とは、思考、学習、会話、芸術など、高度な精神活動(心理的精神的知)に関わる右脳と左脳に分かれる大脳新皮質である。

三つの脳の進化 新装版

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第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す (その六)

[時間を持て余す犬や猫]
食料獲得をしないので、食料生産外の時間を持て余す飼い犬や飼い猫でさえ、それらを文化的活動へと振り向けることはない。昼寝を貪り続けている。でも、しゃべる犬や猫の存在が、Youtubeにたくさんアップされているが。
[文化的活動のさらなる条件]
ということで、食料生産による、あるいは、生物を家畜化することで、余剰や余暇が発生しただけでも、文化的活動が自然に生まれるわけでもない。さらなる条件(進化)が必要である。
[文化的活動とは]
文化的活動とは、有形無形の人工物(例えば、文字、家具など)や生命活動に必須ではないものを創作、生産、活用する行為である。必要を離れた部分での活動である。楽しみのための活動である。もちろん、初期的には必要から発生したとしても。

日本文化における時間と空間

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文化進化の数理

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  • 作者:田村 光平
  • 発売日: 2020/04/09
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文化人類学のエッセンス

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第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す (その五)

[食料生産外の時間が発生]
農耕牧畜によって、全員が自然物(食料)生産に従事しなくてもよいほどに、つまり、余剰が生み出されて、食料生産外の時間(文化的活動)が発生した。とは言え、文化の定義が、人類が自らの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体、なので、食料生産も文化的活動と言えるが。
[大規模な灌漑農耕]
大河の水を利用した大規模な灌漑農耕が、豊かな収穫を可能にし、大量の余剰生産物を生みだした。これが、エジプトや黄河での文明の発生へとつながっていった。この文明の説明からすれば、文明とは、個々の文化的成果を包摂する内容を指し示すと言える。大規模灌漑農耕が文明を生む基盤であった。大量が質へと転化する。
であっても、幸島の猿の文化のように、小さな集団にも文化は芽生える。文明が発生することはないだろうが。
[キノコ栽培するハキリアリ]
植物栽培は人間だけの専売特許ではない。ハキリアリは、キノコを栽培する。が、残念ながら、彼らには、それによって、余剰や余暇が発生したようには思われない。相変わらず、黙々と働き続けている。つまり、ハキリアリでは、植物栽培も本能的システムの一部として最初から組み込まれている。新たに発明(突然変異)されたものではない。だから、文化とは言えない。

文明の生態史観 (中公文庫)

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銃・病原菌・鉄 上巻

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第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す (その四)

[質とは]
ところで、質とは、中身・内容を問題にすることである。例えば、睡眠に関して、時間の長さとか回数という量的な面と、ぐっすり眠ったとか、うとうとしただけとかの眠りの内容の良さを問題にするときに、質という言葉を使う。
[質の差]
例えば、カエルが木の切れっ端を乗り物として使う場合と、人が木を加工して船(乗り物)を作る場合とは、乗り物の質が異なるといえる。そこで、木から船へと名前を変える。名前は、有形の形や、無形の機能とかに付与される。

第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す (その三)

[自然物生産]
農耕が開始されたのは、新石器時代(紀元前8500年頃)からである。新石器時代には、農耕や牧畜の開始によって社会構造が変化し、文明の発達が始まった。農耕や牧畜とによって、その日暮らし的生活から、余剰の発生、余裕・余暇の発生が生じた。
[余剰の発生によって]
そのことで、人類は、動物から人へとのぼった。単なる群れではなく、有機的な繋がりを持つ集団の規模が格段に大きくなった。集団の規模の拡大が更に新たなものを持ち込んだ。
[動物から人間を分かつもの]
動物から、人間を分かつものは、「余剰」と「外化」だと感じる、と私は最初に述べた。だが、人と動物を分かつものは、”言葉”と”道具”だとも言われる。もちろん、動物にも、萌芽的な段階の言葉や道具使用は見られるが。量的な差異が、質へと転化するほどの圧倒的な差異が、人間の場合には見られる。

イライラのしずめ方 人生をかき乱す「外化の心理」からの脱出

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  • 作者:加藤 諦三
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第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す (その二)

[生物の絶対必要条件]
生物の場合でも、さまざまな有形無形のものが、一つの系としてまとまっていたものである。ただ生物の絶対必要条件は、細胞の存在である。細胞があるものには、命があるとみなされる。人間が勝手に決めたものだろうが。
[生死を超えるとは]
唐突だが、生死を超えるとは迷いを超えることである、仏教的に言えば。迷わせているのは自我、我執である。自我は、自分という視点から物事を見る。その自我を取り去り、自分という視点を取り去ると、ただただ働き(機能)しか見えてこなくなる。つまり、人間が勝手に命名した物質的構造が消え去る。だから、そこには、人間的な意味での死は存在しない。ただあるのは、自律的働きの停止だけである。
道元はこのような句を詠んだ。「春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷すずしかりけり」

第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す (その一)

第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す
[人間の文化文明]
ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、やっと、ここからが、本来のテーマである、”人間の文化文明の進化論的栄枯盛衰”を見て行きたい。まずは、余剰について考えたい。
[自然物(動植物)採取]
散逸構造体(オートポイエーシスシステム)である動植物は、有形無形のエネルギー源を取り込まなければ命を維持できない。人間は、食料(エネルギー源)として、動物植物を捕獲、採取する。人間はといったが、これは当然ながら動物も行なっている。
[自律と死]
生物であれ無生物であれ散逸構造体は、自律できなくなると、死を迎える、命が絶える。例えば、以前例示した台風でも、エネルギーの補給がなくなれば、消滅する。なぜか、生物の場合にだけ、命というようだが。

混沌からの秩序

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第七章:単純から複雑への変化を指し示す進化論 (その三)

[進化は上への変化]
“進化”とは、今まで例示で示してきたように、例えば、情報の伝達手段が、声から紙へと主役が変遷してゆく(“階層的な)上への変化”、上へ積み上げてゆく変化である。
[徐々なる変遷]
もちろん、音声から、一気に紙へと変化(進化)したわけではなく、古くは、石とか、木簡とか、ということで、一瞬で消える声(耳:聴覚)から保存可能な文字(目:視覚)へと変遷したといっても構わない。
[横への変化]
石から木簡への移行ならば、横への変化(多様化をもたらすグラジュエーション化:亜種)であるが、木簡から紙(より複雑度の高い素材)への変化は、縦(上)への進化である。
[進化した要素を知る]
がしかし、例示では、どちらかと言えば、情報を載せる乗り物に力点を置いている。つまり、その進化が何についてなのか(要素)も考慮する必要がある。そうでないと、退化した部分もあるから、論点がずれてくる。

第七章:単純から複雑への変化を指し示す進化論 (その二)

[スペンサーの進化論]
イギリスの哲学者、社会学者、倫理学者、スペンサーは、進化を自然(宇宙、生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教をも貫く第一原理であると考えた。芸術作品も宗教の形態も何もかもすべて単純から複雑への変化として捉える。
[スペンサーに賛同]
私はその考えに賛同している。というよりも、私は彼の考えにインスパイア(思想などを吹き込んだり、感化、啓発、鼓舞、または奮い立たせたり、ひらめきや刺激を与えたりする)されたといえる。ということで、この本で、私は文化文明の進化を述べている。
[進化は上への変化]
“進化”とは、今まで例示で示してきたように、例えば、情報の伝達手段が、声から紙へと主役が変遷してゆく(“階層的な)上への変化”、上へ積み上げてゆく変化である。

進化倫理学入門

進化倫理学入門

第七章:単純から複雑への変化を指し示す進化論 (その一)

第七章:単純から複雑への変化を指し示す進化論
[私のいう進化論とは]
なお、私が今まで使ってきた進化(論)とは、厳密な科学的用語ではなく、環境の変化によって、より高度な、より複雑な、より要素が豊富な、方法・手段を用いる(有形無形の)形式へと、主役が交代してゆく過程という意味である。それが生物であろうと、無生物であろうと、無形の形式・システム・組織(例えば、プログラム)であろうと。
[進化論の主流]
ところで、生物進化論に関しては、”総合説”が現代進化論の主流であり、これも含めて”ネオダーウィニズム”と称する。”自然選択”と”突然変異”を理論の柱とする。その内、自然選択とは、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を、厳しい自然環境が、結果的に選別することで、無目的だった変化に進化という方向性を与えることである。
[スペンサーの進化論]
イギリスの哲学者、社会学者、倫理学者、スペンサーは、進化を自然(宇宙、生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教をも貫く第一原理であると考えた。芸術作品も宗教の形態も何もかもすべて単純から複雑への変化として捉える。

進化倫理学入門

進化倫理学入門

さよならダーウィニズム (講談社選書メチエ)

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  • 作者:池田 清彦
  • 発売日: 1997/12/10
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